251105 鎌倉紀行23(報国寺1華の橋)

帰りは鎌倉駅まで歩きます
まず浄妙寺のバス停まで下ります
200mもありません
バス停を右折すると、100mも行かずに「報国寺入口」の看板が立っている
「滑川」という小さな川(というより水路といったところだ)
に架かる小さな橋を渡る
それでも橋には「華の橋」という素敵な名前がついている

橋のたもとには大きな桜の木が2本あるので、
それにちなんで付けられた名前なんだなと思った

調べてみると、報国寺の奥にある旧華頂の宮の別荘の「華」をとってつけたそうだ
なんか夢のある名前だなと勝手に思って...損をした

251101 鎌倉紀行22(浄妙寺5足利直義)

本堂の裏手には墓地があり、
足利尊氏の父親、貞氏の墓と伝えられる「宝篋印塔」が残されている
山すそには、貞氏の三男「直義」墓と伝えられる「やぐら」がある

三方を山に、一方を海に囲まれた鎌倉は、要害の地ではあったが、その分平地が少ない
やぐらは平地を削らずにできた唯一の墓だったのである
それしかなかったともいえるし、生活の知恵だったともいえる

直義と尊氏が助け合って室町幕府を作り上げ、そして対立した話は、
たしか昔々、毎日新聞に掲載された吉川英治の「私本太平記」で夢中になって読んだ覚えがある
10歳になるかならない頃だったと思うが、あの頃は活字に飢えていたんだろうな
それ以来、新聞小説に夢中になったことなんてない
いや、そもそも読んだことすらない