091212 ふぐ三昧(2)

 ふぐでは下関が全国的に知られているが、大分県では下関より臼杵である。12年ほど前、忘年会で門司港のホテルに泊まり、そこから下関のかの有名な「春帆楼」でふぐを食べるという経験をしたことがあるが、新鮮さが命のふぐ刺しは造り置きなのかラップに包まれ、刺し身同士が粘っこくくっついているという悲惨な目に遭った。名前だけで行くもんじゃないという貴重な体験をさせてもらった。

 ここはそんなことは絶対に起きない。もちろん下ごしらえはしているのだろうが、こちらの進み具合に合わせて次の料理を運ぶという、当然の心遣いをしてくれているのでほんとに美味しい。私はグルメレポータではないので、味について上手く表現できない。写真も美味しく撮れているか自信はないが、ぜひ写真を拡大して鑑賞してください。ひれ酒(別注文)を入れて10品。出された順番に掲載します。
⑥「白子に寿司」-口の中でとろける白子は絶品。
⑦「水炊き」-この辺になるとだんだんとペースが落ちてくる。
⑧「唐揚げ」-おそらくこの順番はお店の失敗だと思う。
⑨「吸い物」-みんなは中に入っているふぐの口の部分(おちょぼ)が美味いというが、姿を見るだけでもうだめだ。
⑩「雑炊」-腹がいっぱいだと言いながら、どうして2杯も食べたのか!これが食べたくてここまで来ているのかもしれない。

091212 ふぐ三昧(1)


 私が耶馬溪に住んでいた時、子ども会の行事を通じて仲良くなった何軒かで、まず子どもたちを連れて海水浴やキャンプに行ったり、、クリスマス会などをしたりした。子どもが大きくなってからも今度は大人だけで旅行をするようになり、いまだに旅行と臼杵にフグを食べに行くことだけは続いている。

 このフグ三昧は、正確な数字は分からないが、一昨年、もう10年は来ているだろうということで、お店から記念品をいただいた。だから、12・3年は続いていることになる。臼杵はふぐ料理で有名なところで、たくさんの料亭がある。特に、山田屋とか喜楽庵などが昔からの有名な老舗であるが、私たちの行く店は「福わ内」という。
①店名「福わ内」-階段を上がったところでこの置物が迎えてくれる。
②「ふぐ刺し」-臼杵のふぐ刺しは少し厚め。身がこりこりしている。
③「塩焼き」-と誰かが言ったが、私には「照り焼き」に思えた。
④「肝」-インターネットを見ていたら、こんな文章が出ていた。

 「臼杵、あるいは大分県に行けばふぐの肝が食べられるというような誤解が一部にあるようですが、そのようなことはありません。有毒部位の提供は全国一律に禁止されております」と。私も大分県だけは肝の調理が昔から許されていると思っていたし、一緒に行ったみんなもそう思っている。長崎で板前をしている姪のだんなさんからもそう聞いたことがある。それが違うとなれば、この「肝」だと思っているものは実際にはそうでないことになる。ではなんだろう?
⑤「ひれ酒」-やはり香りがいい。ビール一辺倒の連れ合いもどうしたことか、今日は2杯も飲んだ。

091210 政庁跡に遊ぶ

 大宰府にお参りした後はできるだけ政庁跡に立ち寄るようにしている。まずは観世音寺。大宰府政庁の東に接して建てられた観世音寺は、大宰府の庇護の下、九州の寺院の中心となり、「府の大寺」と呼ばれた。万葉集や源氏物語にも登場する西日本随一の大寺院だったという。隣には奈良の東大寺、下野の薬師寺と並んで日本三戒壇の一つに数えられる戒壇院が左手に見える。クスノキの茂る境内からその裏の田んぼや僧玄肪の墓辺りは古(いにしえ)を感じさせ、散策を楽しみたい。

 ここから10分も歩けば、政庁跡にたどり着く。かつてここは「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれ、九州を治める役所であった大宰府の政庁があった場所である。きれいに整備され、広々とした史跡公園になっている。数多くの礎石が残り、地元の人はここを「都府楼跡」と呼ぶ。それは菅原道真が詠んだ漢詩「不出門」の中にある「都府樓纔看瓦色」が由来だという。ちょうど周りを山に囲まれた地形をしていて、ずっと向こう(政庁跡の背後)には大野山がそびえ、その左手の山、四王寺山頂(410)に政庁の北の守りとして造られた日本で最初の山城、大野城があるという。山に囲まれながら広々とした印象を与え、つい「まほろば」という言葉が浮かんでくる。

 ここに来る条件。
その1、「晴れた日」というのが絶対条件。その2、「風のない日」が必要条件。その3、「5月の若葉の季節」が十分条件。つまり、「5月の風のない晴れた日(そのままか)」となる。そんな季節は訪れる人で賑わう。だれもが裸足で歩こうとする。若い夫婦が幼い子どもを連れて、その子どもは裸足で土の感触を楽しむ。ここはそんな風景が似合う。

 余談   都府楼について調べていく中で、道真の「不出門」と「愁思(九月十日)」に出会う。こういうところがブログでの思わぬ拾い物。

091209 お石茶屋から竈門神社へ

 裏庭にはたくさんの茶店が並ぶ。さらに坂道を進むと、「お石茶屋」が見えてくる。筑前三美人のひとり「お石さん」が開いた由緒あるお茶屋さん。看板娘だったお石さんに一目会いたくて、文化人がこぞって通ったという。他の茶店と違って、古びた佇まいに土間づくり。こうした雰囲気に惹かれて一番奥にあるにもかかわらず多くのお客がやってくる。

 土間に入って食べるもよし。できたら外に紅い毛氈を敷いたテーブルがあるので、そこに座るのがお勧め。新緑と紅葉の季節には、ゆっくりと風に吹かれながら、景色を眺めながら「お抹茶と梅ケ枝餅」をいただく。ここの梅ケ枝餅はパリッと香ばしい皮とたっぷりの餡の加減が絶妙で、抹茶との相性も抜群で、何度でも通いたくなる。

 以前はすぐ上に弓道場があった。高校生たちが胴着に着替えて的を射ていた。特に女学生が居ずまいを正して的に向かう姿は、凛々しくてつい見とれていたものだ。ところが、いつからだろう。道場はなくなり、ただ草が生い茂っているだけだ。

 その先にはレンガ造りのトンネルがある。いつもはそこで引き返していたのだが、今回はその先に進む。このトンネルには「お石しゃんトンネル」の名前が付いている。炭鉱王麻生太吉が、美人のお石しゃんが遠回りをせずに自宅から直接店に通えるように造ったトンネルだという豪華な伝説もあるが、そういう伝説ができるほど美人だったということか。実際は、竈門神社や宝満山登山の人たちのために造ったというのが真相らしい。

 今回はその竈門神社まで足を伸ばす。駐車場のお兄ちゃんには40分ほどかかりますよ、と言われたが、歩くのは苦にならないからと頑張ってみた。すぐに登りになったが、実際は20分ほどで着いてしまった。歩いてよかった。途中から駐車場へ入ろうとする車が数珠繋ぎで、引き返そうにも道が狭くてどうしようもない。神社には紅葉狩りの人もいたが、大部分は宝満山に登る人たちのようだ。紅葉は他と同じで鮮やかさがなく、期待はずれだった。

091208 梅ケ枝餅

三軒のお店の写真にしようと思ったのですが、「松屋」の庭、柿の木を中心にしました。ほんとに柿の実がきれいです。

 太宰府といえば梅ケ枝餅。太宰府に流された菅原道真を慰めようと土地の人が作ったお餅だと言い伝えられている。参道にはたくさんの梅ケ枝餅を売るお店があるが、この頃雑誌に載せられると行列ができてしまい、まわりの店は閑古鳥が鳴くという現象が起きている。載ったお店はホクホクだが、周りは迷惑な話である。だって、そんなに味が違うわけでもないのに、雑誌に載るか載らないかが勝負を決めてしまうのである。

 私はその参道では、三軒ほどのお店をその時の気分で使い分けて買うことにしている。参道の入り口右手には「松屋」。中に茶房があるが、その奥にこじんまりとした素敵な庭がある。その庭でもお茶を飲むことができる。特にこの時期は柿が見事である。柿の葉も大振りで、色がなんともいえず美しい。この店では水盤に柿の葉を入れていた。ただそれだけなのに草花をたくさん飾ったものよりも遥かに素晴らしい。また、実が美しい。柿の実に美しいは似合わない気もするが、ほかの表現が見当たらない。空の青の中に浮かんだ柿の実をなんと表現したらいいのだろうか。
それと中ほどにある「かくだ商店」。ここは上品なおばあちゃんがひとりで焼いていて人気があった。連れ合いも好きで、彼女はほとんどここで買っている。そのおばあちゃんも4年ほど前に亡くなってさみしくなった。

 もう一軒は「きくち」。以前は行列のできる店だったが、今ではそれも他の店に移り、ゆっくりできるようになった。ここはお土産に買うよりも、2階にある喫茶でお抹茶を飲みながら梅ケ枝餅を食べるのがいい。

091207 太宰府天満宮

 太宰府といえば梅。中でも「飛梅」が有名である。道真の歌で「東風(こち)」という言葉を知り、風を表す言葉に興味を持ち、「南風(はえ)」などの言葉を知る。ところが、何度訪れても梅のきれいな時期に巡り合うことがなかなかできないでいる。その代わりいつも感動するのがクスノキである。境内のあちこちにクスノキの大木がある。鳥居をくぐったすぐ右手にも。心字池にも池を覆うような大木があり、本殿の裏にはこんなにも大きくなるのかと感心するほどの大木が。

 こうした木を見るたびに思うことがある。それは、この木を古代の人たちはどんな目(心)で見ていただろうかということである。圧倒されるほどの生命力を前にした時、人は自然と仰ぎ見るか、静かに頭を垂れるかのどちらかである。それは人知を超えたものへの畏敬の念である。だれもが素直にそうした心を持てた時代というのは、心は健康で幸せだったのではないか。

 心字池には三つの赤い橋が架かっている。いつも多くの人がその上を通っていく。この三つの橋は、「過去・現在・未来」を表しているというのをさだまさしの歌で知った。題名は「飛梅」。それ以来、二つ目の橋の上で後ろを振り返って見ることにしている。「今」から「過去」を振り返るというわけである。もちろん過去が見えるわけではないが、なぜかここではそうしたくなる。

 ここにはたくさんの思い出が詰まっている。そろそろ三つ目の橋への距離が短くなった今、「これまで」を大事にしていきたいと思う。

091206 光明禅寺

6日間もブログの掲載がなかったのは初めてではなかったか。3日間東京に行っていたので空いてしまいました。そのことについてはまたブログで紹介します。それでは「太宰府」の巻の始まりです。

 この寺に最初に来たのは30代の終わり。それからすっかり忘れてしまい、再び訪れたのは50代の始めでした。

 ここは別名「苔寺」。苔で陸地を、白砂で大海を表現している。そして、石を「光」の形に配置しているとパンフレットには書いてあるが、何度見てもどこに光があるのか分からない。凡人には無理なのか。

 ここの醍醐味はなんといっても紅葉。佐賀の「九年庵」の帰りに寄って見た紅葉の美しさには言葉もなかった。特に部屋の中から見ると、鴨居と柱と床が額縁のように外の景色を切り取って、まるで一幅の絵を見るようだった。部屋の中が暗いため紅葉の鮮やかさが際立つ。その後何度訪れてもその時の美しさを見ることはできないでいる。上の写真は2002年11月16日の時のものである。

 5月にはシャクナゲが見事だと聞く。そういえば庭の奥、山の斜面にたくさんのシャクナゲが見える。いつかその時期に訪れてみたいものである。2月の厳冬の時に訪れるのも一興である。さすが禅寺というべきか、開け放たれた部屋の畳に座り、下からこみ上げてくる底冷えの中で、葉を落としてしまった木々の中に見える庭を眺めるのも風情がある。自宅ではわずかな寒さにも不平不満たらたらなのに、場所が変わって禅寺となると「風情」になるから不思議である。

 タタミあるいは廊下の床に座り、ただひたすら庭を眺めていると、自分が消えてしまうような感覚を持つことがある。ひょっとしてこれが「悟り」か、なんて夢のような話。それにしてもこのごろの人の多さは!もうすっかり観光名所である。