250120 嵯峨野散策54(清凉寺3・仁王門2)

清涼寺は嵯峨野のちょうど真ん中に位置し、
すっくと立つ山門(仁王門)の姿は「嵯峨野の顔」と称されています
この姿を間近で見るとそう言われるのも納得です
入り口の両側には、室町時代の作と伝わる阿吽の仁王像(金剛力士像)が
睨みを利かしています

奈良の東大寺の力士像の迫力ある雄大さには遠く及びませんが、
赤く彩られた姿(特に顔)は少し怖いくらいです

250115 嵯峨野散策53(清凉寺2・仁王門)

遠くからでもこの門は目立つ
幅10余メートル、高さ18余メートルの大きなどっしりとした、
いや「豪壮な」山門と表現した方が似合っている
高さが目立つスタイルの良さと、総ケヤキ造りのためか
全体が赤く見えるのが特徴です

そして、垂木の先端が白く塗られているの目立ちます
とにかく粋な造りです

鬼瓦もなんとも粋な感じがします

250110 初 雪

テレビでは盛んに「最恐寒波が・・・」と繰り返しています
「最強」ではなく「最凶」というところがミソである
たしかに東北地方、特に青森は大変なことになっているようだ
吉田拓郎の「旅の宿」や「歩道橋の上で」(←クリック)の舞台・青森県の蔦温泉では3mを超える積雪だとか・・・・・
見当が付きません
これはもうアナウンサーのいうように「災害級の」という形容詞がぴったりだし、
除雪をしているお年寄りの「疲れ果てました。もううんざりです!」という言葉が突き刺さります

九州も平地でも積もるところが出るので不要不急の外出は控えるようにアナウンスしだした
ここ中津はほとんど雪を見ることはないからと高をくくっていたら、
お昼前から雪が舞っているのが見えるようになってきた

そのあとすぐ降るのはやんだのだが、布団に入った後から部屋全体が深々としてき始め、
朝起きたら案の定、庭も道路も真っ白に積もっている
「初雪」なんてタイトルをつけたのはその通りなんだが、
こうすれば「なごり雪」(←クリック)みたいにほっこりしないかなと思っただけです
この後どうなっていくんだろう

※「歩道橋の上で」は「旅の宿」のアンサーソングです 拓郎の歌の中で最も好きな曲です

250105 三光中学校同窓会

11月の14日に中津北高第16回生の「1年早い傘寿の同窓会」が行われました
それから2か月と経たないうちに今度は「第7回三光中学校同窓会」に招待されました

会場は大分銀行の隣の「鬼太郎」
10分前に着いたらほとんどの参加者が席についていた
前回より少し少ない気がしたのですが気のせいかな
担任で参加できたのは私と竹内先生
堀先生は高齢のためだとか 渕野先生はなんと骨折のためとか
年を取ったね~と竹内先生と顔を見合わせてしまいました
私たち二人を囲んでたくさんの生徒たちから写真を撮られたのですが、その中から1枚
左にいて、白髪の存在感抜群の彼が代表幹事の「中園くん」
社長と呼ばれています
自分のクラスのことばかり書きますが、私のクラスでいろんな意味で目立っていたのが、「中園くん」と隣の写真、運動会で必死に走る「光根亜寿香さん」
彼女は今では中津市議会議員です

途中で披露されたスライド写真の中に懐かしい顔を見つけました
1枚は若い堀先生と笑っている私(陰では下毛の三髭なんて言われていました)
隣の写真では学年は違っていましたが、数学を担当してくれた「戸田先生」
楽しい話術で生徒たちの人気者でした
左端に映る若い先生は私とは変な意味で(中身は言えませんが)つながりのあった、確か臨時の先生でした
彼を見つけて、そんな思い出が浮かび上がり思わず声をあげそうになりました
こういう現象を「フラッシュバック」と言いうのかな

 

250101 あけましておめでとうございます

お父さん、明日は何時まで寝ていてもいいよという許しを得て、
9時にトイレで起きて、10時まで布団の中で惰眠をむさぼりました
今年一年を象徴する生活ぶりです

2006年6月24日に、「昔から文章書くことは好きだった」で始まった私のブログも今年で15年が経ちます
そして今回が「1907回」になります
よくぞ続いたものだと自分でも感心していますが、今の自分の年齢・体調・書き溜めた原稿数からみても、あと2年は無理かもしれません
ということで、原稿がなくなればブログも終わりです

そうそう、今年の年賀のブログの写真は、これまでの風景ではなく、がらっと趣を変えます
12月27日に、大阪城公園にあるホテルニューオータニでの「氷川きよし」のディナーショーの会場入り口のきよしの2枚の立て看板に挟まれてスタッフに撮ってもらった写真を使います
氷川きよしのショーの感想は・・・・
「すごくきれいな男性(?)でした

と張り切ったのはいいのですが、昨年までのブログの年賀写真にこの写真を入れ替えて挿入しようとすると、「賀正」などの文字が出てきません
映像と文字がごっちゃになっているとのことですが、昨年までは「オートシェイプの書式設定」で簡単に挿入することが出来たのですが・・・・
もう私の手に負えないので、写真だけをアップしておきます

 

241225 嵯峨野散策52(清凉寺1・清凉寺まで)

一度「嵯峨嵐山駅」に戻る
線路沿いに左に進み、角のコンビニを右折する
すぐに「丸太町清滝通」の交差点に出る

さらに左折して、最初の交差点を右折する
右に「京和菓子司・甘春堂嵯峨野店」を見て進む
暖簾に慶応元年とある
元年は1865年だから今から157年前に創業か!
京都人にとって「この間の戦争、大変どしたなあ」という戦争が、
応仁の乱とか蛤御門の変とかいう話を聞いたことがある
応仁の乱は置いとくとして、蛤御門の変でも150年以上は経っている
となると「老舗」を名乗る資格はあるということか
門前通りを進むとそこはもう「清凉寺」である

ところでなんでこんなにスムーズに行ったかというと、
昨日は今一だったスマホのナビが今日はうまく使えたからです
というより、今日ある道がごちゃごちゃしていなかったというの真相です

241220 嵯峨野散策51(鹿王院4・舎利殿)

ここ鹿王院で最も見たかったのが「舎利殿」
「先の金閣」と呼ばれているように金閣寺と同じ様式で造られているとか
同じ足利義満が建てたものですからね
閑話休題
これが見たかったのに・・・・舎利殿は建物全体が大きな幕(←クリック)に覆われている
私は舎利殿の中の厨子
その上に飾られた龍が描かれた「天蓋」(←クリック)
周りには、韋駄天の親分の増長天を含めた「四天王」(←クリック)が周りを固めている
人と関心を示す方向がずれているかもしれませんが、
何よりも四天王に踏みつけれている「邪鬼」が見たかったんですよ!!!
残念ですが、宿題が一つ残りました
しかし、これを解くのに私の寿命の方が持つでしょうか・・・

このままで終わるのもなんだかなあ、ということで、
本堂から見た外の景色と
本堂の中に舎利殿の大きな写真が飾られていたのでそれをアップしておきます

この写真の1年後に工事が終了し、今は拝観できるとか
行きたいなあ  あ~あ

241215 米山公園(園児と鴨)

毎日通って大体1時間は歩く私から見れば、今日は珍しいお客さんが訪れていた
一組は保育園児
「めぐみ幼稚園」というロゴの付いたマイクロバス2台でやってきた

どこにあるのかな
うちのすぐ近くには「サーズ」の時に香港から避難してきた孫が、一時的に通わせてもらった「グレース保育園」というのがあるが・・・・
よくしつけられているのでしょう 逃亡する子などいません
もう一組は「鴨の群れ」
10月ごろから見かけるようになり、今では先住民であった鳩の群れを駆逐し、
すっかり公園の主のようにふるまっている
すぐ近くの芝生の上で懸命に何かをついばんでいます
公園全体では200羽はいるんじゃないのかな

私が歩いていると気配を感じただけで逃げていくのに
園児たちが近くで騒いでも知らんぷりです
せかせか歩く爺さんには警戒しても、園児たちは同類と見ているのかな
ただ歩くだけでは面白くもなんともないので、せめてもとそんなことを思いながら歩いています