250501 嵯峨野散策63 (宝筐院4・首塚)

ここは回遊式の庭園です
一番奥まったところに墓が残っています
北朝方の足利義詮と南朝方の楠木正行が隣り合わせに仲良く並んでいます
右の墓に菊水の紋が見えるのでこちらが正行かな?
なんでこうなったの?
こんなギャグを言っていた芸人がいたなあ
これが分かる人は相当生きてきた人だろうな
脱線しました、元に戻ります!
四条畷の戦いに敗れた正行の首級がこの寺に葬られました
それを知った義詮はかねてから敬慕していた正行の傍らで眠らせてもらいたいと
遺言を残したと言われている
泣けるようないい話

 

240425 嵯峨野散策62 (宝筐院・千手観音)

紅葉に圧倒されて、ほかのところまでに気が回らなかった
それでも一応本尊だけは撮りました
ここの本尊は「十一面観音菩薩」様です
あれ、昨日撮りためた番組を見ていたら、
たしか草刈正雄の「美の壺」で十一面観音像の特集があったはず
その時思い出したのが、
昔々奈良を旅行した時に見た花の御寺・長谷寺での日本最大の十一面観音像のことです
ず~と二人で、レンターカーで回ったのが楽しかった

あれ、慌ててたのがよく分かる写真ですね
なんとなく手がいっぱいありそうには映っています
よかった・・・・!

紅葉も単独で撮るよりも、何かが映りこんでいる方がよく見えそうですが、
どうでしょう・・・・?

 

250420 嵯峨野散策61(宝筐院2・車夫)

ちょうど車夫の方が案内している所だった
とにかく、変な表現だけどここはもう「紅葉の海」
木に残っている(?)紅葉の色も素晴らしいが、
落ちて降り積もっている紅葉も、まだ生きている(?)ようだ
なんか変な表現だらけだけど、そうでもしないとこの凄さは表せない

 

250415 嵯峨野散策60(宝筐院1・御門)

清涼寺を出たとたん、会話が耳に飛び込んできた
聴こうとしたわけでもない
勝手に「飛び込んで」としか言いようのない状況だ
これが今日最大の幸運の始まりだ

人力車夫の方が乗客を案内してきたのだろう
ちょうど門をくぐろうとしている
「ここはよっぽどの通の方でないと知らない、隠れた紅葉の名所なんですよ!」
門前の石柱には「小楠公菩提寺宝筐院(ほうきょういん)と彫っている
予定には入っていなかったところである
これはひょっとして掘り出しものかとワクワクしてくる

250410 嵯峨野散策59・(清凉寺6・番外編)

そうそう、話を元に戻して、「清凉寺」をそろそろ終わらせよう
清涼寺は「鬼平犯科帳」のロケ地としても使われたそうだ
エンディングでまず最初に出るのが
「仁和寺の五重塔と御室桜」というのはよく知っていた
中村吉右衛門の長谷川平蔵がたまらなく好きで、再放送も全部見ました
テレビもだけど、それより好きなのは池波正太郎の原作だ
毎年夏休みになると、2階の書庫の隣の2畳ほどの部屋で、
海風に涼みながら寝転んで鬼平と「剣客商売」を読むのが定番だった
この二つのシリーズは終活の時も処分できなくて・・・・・
今度の夏から人生最後の寝転がっての読書と洒落てみようかな

もう一つ好きだったのが、エンディングで聴くジプシー・キングスのギター曲「インスピレーション(←クリック)」です
哀切の込められた、何とも言えない情感を醸し出していました
時代劇とギター曲、どうしてこんなに合うんだろう

250406 名もなき者・3

書庫には、ジョン・バエズもあるし、何といってもサイモン&ガーファンクルです
「卒業」のシーンを表紙のカバーにしたのが好きです
花嫁を連れ去るシーンが有名ですが、恋人の母親との不倫は意外と忘れられている
サイモン&ガーファンクルのレコードはもう一枚あるのですが、
やはりこちらの方に負けます
なにしろ、ミセス・ロビンソンの足がアップですから・・・

それはそうと、ビートルズのレコードが1枚もない
どこでかは言いませんが、ある学校に勤めていた時、
若い英語の先生に貸してあげたのを、ほんとに「あげて」しまったようです
ジョン・レノンの「イマジン」が英語の教科書に載るとかいう話から
生徒に聴かせたいというので貸してあげたような気がする
何年か後に思い出したのですが、私も小学校に異動していて会う機会がなくて
なんとなくそのままになってしまいました

※先ほどPCの師匠が日出から来てくれてすぐに直してくれました
➀PCの不具合ではないようです ➁電波塔との接続ならどうしようありません ➂PCとワイハイの無線が切れているのらすぐによくなりますよ
ワイハイの記号が地球儀の記号なっているので楽勝です
昔みたいに師匠がすぐ近くにいてくれたならとつくづく思いました

250325 閑 話・2

この日は小祝の島を抜けてお城の横に出て、市立図書館へと向かう
借りた3冊のうちまだ1冊を読み終えていないので今日はただ横を通るだけ
諸町を抜けると、中津家具の向こうに新博多町のアーケードが見えてくる
かつては中津でも一番賑やかな通りだったと思う

左の写真の車が見える辺りは大型書店があったところで、
本好きからそうでない人までたくさんの人が集まる場所だった
アーケードの中ではすれ違うのが困るほどの人が行きかっていた
なのに今では遠くに年寄りが数人いて、見事なまでの、爽やかなまでの空間になってしまっている

駅へと続く日の出町のいくつかあった路地裏の一つが長屋みたいになっていて、
同級生が何人も住んでいた
当時は狭くてちょっと怖いくらいの空間だったけど、
今日見ると全てが取り壊されている
水路が走っていて(ひょっとしてその水路の上に長屋があったのかな)、
上には青空が見えて、かえっていかに狭い空間だったのかと思い知らされた

※日の出町の話は写真無しで想像してみてください

250323 閑 話

長い間、歩くのに使っていたのは米山公園である
孫がSARSで香港から避難してきた時にキャッチボールをした思い出の地である
昨年の9月に「五十肩」を発症してから億劫になったのと
寒くなり始めたこともあって別のルートを通るようになった
小祝に行く途中の広い道路(何十年も未完成)を使っている
この道路は未完成(小祝から福岡県へつながる予定だった)のためか、道路沿いに住宅が少ない

その少ない住宅の中にもいつの間にか空き家になった家を見つけた
歩いてみて空き家になっていることにも気付き、庭も荒れ果てていることを知る
その庭に素敵な枝ぶりの梅の木があって、梅の咲いていることに気付く
記録によると、「3月8日」に撮影とあるので少し満開を過ぎていることを知る
かつては家人がどれだけこの花を愛していたのかも知り、
今でも廃墟の中で健気に咲いている姿が愛おしい