240401 枝垂桜

毎度毎度、米山公園で申し訳ありません
いかに私の行動半径が狭いかが一目瞭然です
この公園にも何本かの桜が植えられています
ほとんどの桜がやっと蕾から花を咲かせ始めるようになってきました
そんな中、1本の「枝垂桜」が見事な姿で花を咲かせています
27日・29日・31日・1日と連続で写真を撮りました
最後の写真には地面に花びらが落ちています

何か病気をしたわけでもないのですが、あちこちに痛みが出て、
満開の桜を求めてどこかへ行こうという気分ではありません
幸い、毎日この公園で歩くのだけはできているので、
この桜が蕾を作り、花が咲いて、満開になり、散っていくのを楽しみましょう

240328 県立美術館

連れ合いのお供で大分県立美術館へ出かける
昔、市立美術館にも連れて行かれたことがあった
何を見たかも全く覚えていません
しかしこうでもしないと外へ出けることも無くなったので、感謝すべきかもしれません

今回のタイトルは「東京・白金台美の宝庫 畠山記念館名品展」です
天邪鬼ですから、見たとたん鼻に着くような言葉だなあというのが率直な感想です
何を見たと説明できたらいいのですが、関心がないものですから言葉では無理です
それでは写真でもあればいいのですが、各部屋で静かに椅子に座っている女性が怖くて、
彼女たちのスキを窺って撮ろうなんて、気持ちさえ起きません
入り口で撮った私とパンフレットを写した写真を載せて
たしかに出かけたという証拠にしたいと思います

240325 ぼくたちの失敗

連れ合いが生徒さんと博多座の夜の部を観に行くというので、駅まで送る
「トッツィー」というミュージカルだとか
山崎育三郎が主演だと興奮している
さあ、あとは帰りを迎えに行くまでは自分の時間である
夕食になりそうなものを買ってから、まずは米山公園を歩くことにする
時間的なこともあるけど、風も強いので他に歩く物好きはいない
空は青々として、遠くにはかすかに昼の月が見えるし、
湖畔ではたくさんのカモが日向ぼっこをしている

いつもは「高橋洋一チャンネル」や「おはよう寺ちゃん」を聴くのだが、
今日は趣向を変えて自分で集めた「マイミュージック」の中の「最強の20曲」を選ぶ
20曲がいつの間にか25曲に増えてしまったが、
何度も聴いているので次に何の歌になるのかが分かる
今聴こえているのは「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」(←クリック)
とすると次は森田童子の「ぼくたちの失敗」(←クリック)である
彼女が亡くなった時にも書いたことだが、この曲を始めて聴いたのは1977年ごろ
30を超えていたのになぜか学生時代の歌として記憶している
それはおそらく歌詞の中の「ストーブ代わりの電熱器 赤く燃えていた」に反応したのだと思う
それはたしかに僕の学生時代の経験だから・・・・
貧しかったよなあ

240320 嵯峨野散策20(天龍寺14・お庭2)

これでやっと天龍寺も最後です
2) 硯 石
これにお参りすると書画が上達するということで、
全国から書道や水墨画をされる方がお参りにやってくるそうです

これくらいしか書くことがありません
ということで、近くの紅葉の写真を添えておきます

そういえば、太宰府で本殿の裏に「筆塚」(←クリック)があったなあ
菅原道真はたしか「書道三聖(道真・小野道風・弘法大師)」と崇められ、
学問の神様だけでなく、書道の神様としても信仰されていました

 

240315 嵯峨野散策19(天龍寺13・お庭1)

外に出て、ゆっくり散策する
いろんなものを撮って何が何だか分からなくなりました
その中から二つほど
その一) 愛の泉
観音様の前にカエルが3匹並んでいる
観音様を守っているのだとか

真ん中のカエルの前にあるお皿めがけてお賽銭を投げて、入ると倍になって返ってくるそうです
お皿の外の水の中には、たくさんの欲望の跡が落ちています
それはどうでもいいことなんですが、
肝心の「愛の泉」(←クリック)はどこに行った?!

240310 嵯峨野散策18(天龍寺12・多宝殿)

小方丈の奥から廊下(回廊)を歩くことになる
この雰囲気も良し

後醍醐天皇の建武の新政は、不満を持つ武士たちに担がれた足利尊氏に敗れ、
天皇は吉野に逃れます
そして、執念深く京都奪還を念じますが、恨みのうちに亡くなります
その後醍醐天皇の遺言
「玉骨はたとひ南山(吉野)の苔に埋まるとも、魂魄は常に北闕(京都)の天を望まんと思ふ」

これでは怨霊の跋扈する世界に生きる尊氏にとっては気の休まる時はないでしょう
そこで夢想礎石「後醍醐天皇の霊を祀って、天下に平和をもらしましょう」という進言を入れ、
その霊を祀る場所として天龍寺を創建したのだそうです
多宝殿の奥側に当たる祠堂には、後醍醐天皇の像が安置され、彼の霊を鎮めています

240305 嵯峨野散策17(天龍寺11・雲竜図)

大広間の襖には、昭和32年(1957年)に、若狭物外(通称・物外道人)によって描かれた「雲竜図」がある
彼はこの年に亡くなっている
この大作に全てをささげたのかな・・・・
アクリル板に覆われているので、どうしても反射して他のものが映りこんでしまいます

ここにはもう一つの「雲竜図」(←クリック)があるそうだ
今飾られているのはレプリカとか
ふだんは特別展などでしか見ることはできない
本物はボストン美術館にあるのだが、どのようにして流れ流れたのか
おそらく幕末から明治維新の混乱の中での出来事だと思うが
このレプリカは、2007年から始まったキャノンの「綴プロジェクト」の一環として、
高精度印刷技術を使って再現されたものの一つである
何の番組かは忘れたけど、3年ほど前に見た覚えがある
その時は「風神雷神屏風」だったような気がする
  ※クリックして出てきた写真はそれをクリックすると拡大されます

240301 嵯峨野散策18(天龍寺10・大方丈)

大方丈(本堂)と小方丈(書院)とからなる
大方丈は天龍寺最大の建物でる
元治元年(1864年)禁門の変で焼失
明治32年(1899年)に再建される
入り口に掲げられた「方丈」と書かれた扁額は、8代管長の筆になるもの

本尊は「釈迦如来坐像」で、天龍寺が受けた八度の火災のいずれにも罹災せず助けられた仏像で、
天龍寺で祀られている仏像の中では最も古い仏像である
残念ながら直接対面することは叶わず、遠くから撮るのみである