241225 嵯峨野散策52(清凉寺1・清凉寺まで)

一度「嵯峨嵐山駅」に戻る
線路沿いに左に進み、角のコンビニを右折する
すぐに「丸太町清滝通」の交差点に出る

さらに左折して、最初の交差点を右折する
右に「京和菓子司・甘春堂嵯峨野店」を見て進む
暖簾に慶応元年とある
元年は1865年だから今から157年前に創業か!
京都人にとって「この間の戦争、大変どしたなあ」という戦争が、
応仁の乱とか蛤御門の変とかいう話を聞いたことがある
応仁の乱は置いとくとして、蛤御門の変でも150年以上は経っている
となると「老舗」を名乗る資格はあるということか
門前通りを進むとそこはもう「清凉寺」である

ところでなんでこんなにスムーズに行ったかというと、
昨日は今一だったスマホのナビが今日はうまく使えたからです
というより、今日ある道がごちゃごちゃしていなかったというの真相です

241220 嵯峨野散策51(鹿王院4・舎利殿)

ここ鹿王院で最も見たかったのが「舎利殿」
「先の金閣」と呼ばれているように金閣寺と同じ様式で造られているとか
同じ足利義満が建てたものですからね
閑話休題
これが見たかったのに・・・・舎利殿は建物全体が大きな幕(←クリック)に覆われている
私は舎利殿の中の厨子
その上に飾られた龍が描かれた「天蓋」(←クリック)
周りには、韋駄天の親分の増長天を含めた「四天王」(←クリック)が周りを固めている
人と関心を示す方向がずれているかもしれませんが、
何よりも四天王に踏みつけれている「邪鬼」が見たかったんですよ!!!
残念ですが、宿題が一つ残りました
しかし、これを解くのに私の寿命の方が持つでしょうか・・・

このままで終わるのもなんだかなあ、ということで、
本堂から見た外の景色と
本堂の中に舎利殿の大きな写真が飾られていたのでそれをアップしておきます

この写真の1年後に工事が終了し、今は拝観できるとか
行きたいなあ  あ~あ

241215 米山公園(園児と鴨)

毎日通って大体1時間は歩く私から見れば、今日は珍しいお客さんが訪れていた
一組は保育園児
「めぐみ幼稚園」というロゴの付いたマイクロバス2台でやってきた

どこにあるのかな
うちのすぐ近くには「サーズ」の時に香港から避難してきた孫が、一時的に通わせてもらった「グレース保育園」というのがあるが・・・・
よくしつけられているのでしょう 逃亡する子などいません
もう一組は「鴨の群れ」
10月ごろから見かけるようになり、今では先住民であった鳩の群れを駆逐し、
すっかり公園の主のようにふるまっている
すぐ近くの芝生の上で懸命に何かをついばんでいます
公園全体では200羽はいるんじゃないのかな

私が歩いていると気配を感じただけで逃げていくのに
園児たちが近くで騒いでも知らんぷりです
せかせか歩く爺さんには警戒しても、園児たちは同類と見ているのかな
ただ歩くだけでは面白くもなんともないので、せめてもとそんなことを思いながら歩いています

241210 嵯峨野散策50(鹿王院3・中門)

途中もう一つ門をくぐる
「中門」である
中門からも前庭の姿が見える
ちょうど門の影に切り取られて「額縁の絵」のようになっている

その先に建つのがおなじみの姿をした「庫裏」
ほんとどこも同じ形なんだなあ
玄関正面には「韋駄天」の像が厳めしく迎えてくれる
四天王の一である増長天の配下だとか
舎利殿で四天王にまみえることが出来るのが楽しみである

 

241205 嵯峨野散策49(鹿王院2・参道)

山門をくぐると、石畳の道に紅葉のアーチが目に飛び込んでくる
昨日の二尊院には道幅では負けるけど、結構先まで続いている
たしかに覆いかぶさるようにあるんだけど、ここの紅葉は盛りを過ぎたのか色づきが悪い

先が「くの字」に折れた1本道を、周りを見ると苔の時期には凄いことになっていると思えるほどの苔が生えている
脇道の先にはこの地を守る「鎮守社」がひっそりと佇んでいる
入り口の紅葉には根元に「イロハカエデ」という文字がやっと見える
この紅葉の色は、うまく言葉では言い表せないのだが、
「異様なくらい」紅い

 

241201 蛎瀬のばあちゃん

いろいろ話題があったので話が飛んで行ってしまいました
すいません もう1回だけ寄り道をします
最近、コメの精米をするのに「ゆめタウン」の近くにある精米機に出かけました
この辺りは今でこそ繁華街になりましたが、昔は富士紡績の工場と池と蓮畑が広がっていました
蓮畑は同級生のうちのもので、彼は小学校の高学年くらいから泥まみれになって手伝っていた姿を思い出します

精米が終わって、車をそのままにしてゆめタウンの近くをぶらっとしました
この辺りの地名は「蛎瀬」と言います
ちょっと路地に入るとこの路地裏に前回の「嵯峨野散策47」で書いた「蛎瀬のばあちゃん」の住んでいた家が残っています

ほんとに狭い路地ばかりです
昔は狭いなんて思いもしなかったけど・・・・

母親よりずいぶんと上でしたが、名前を「淑子」といい、小柄で上品な人でした
生意気にもこっそりと憧れていました
ずいぶんと可愛がられ、よくお寺に連れて行ってもらいました
その時見た地獄の襖絵が怖くて、その夜は母親の布団に潜り込んだのを覚えています
次回こそ「嵯峨野散策」に戻ります