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司馬遼太郎は「風塵抄」の中で「平和を維持するには、人脂(ひとあぶら)のべとつくような手練手管が要る」と書いている。平和・平和と唱えることを平和念仏主義と言い、「念仏では平和は維持できない」とも言っている。
大賛成だ。平和は宗教ではない。人の世の出来事である。「平和を愛する諸国民の公正と正義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した(憲法前文)」と思うのは勝手だ。誰だって戦争はしたくないし、ましてや敗戦直後なら戦争は二度と起こしてはならないと思ったのも分かる。
しかし、「したくない」ことと「性善説に頼る」ことは全く別の話である。性善説はあってほしいものではあるが、必ずあるものでもない。そんな曖昧なもので本当に国民の生存と安全が確保できると考えて実行する国があるとしたなら、憲法以前の国の在り方すら知らないお花畑のような国であろう。
繰り返す。平和を維持するためには備えが要るのだ。その備えは他人の善意に頼ることではない。時として脂汗を流すこともあるし、血を流すことだってあるのだ。その覚悟があってこそ平和は維持されると知るべきだ。
ちょっと気合いが入り過ぎたようだ。こんなにも溜まっていたのかと我ながら驚いている。