131229 イルミネーション紀行5(香嵐渓3)

  「三州足助屋敷」とあるからこの「足助」の由来はと調べてみたが、どうしても出てこない。あきらめてみたもののどうも気になって仕方がない。知ってる人、どうか教えてください。

  この建物は茅葺きの古民家のように見えるのだが、なんと新築されたものだそうだ。それにしてはこの屋根、見事にコケが生えていてその重みで押しつぶされそうに見える。その緑のコケに銀杏の黄色い落ち葉が降り積もり、そのコントラストが見事だ。周りが一面紅葉に囲まれているだけにそこだけ浮き出ているようで素晴らしい。

  Tさんほどには思い入れはなかったのだが、来てよかったと心から思える。心配した天気も良かったし、なにより紅葉が素晴らしかった。このあと、なばなの里で見た「見返りの花」に習って「見返りの紅葉」をもう一度アップしよう。

“131229 イルミネーション紀行5(香嵐渓3)” への2件の返信

  1. 知多のあっちゃんより

    古代・中世に「このころ荘園の荘官として尾張から山田重長が来て、足助氏を名乗るようになり、
    足助となるとあるそうですが、現在では、
    逆に、足助に来てから「足助氏」を名乗るようになったと言うのが通説だそうです。
    足助はまだ低地ですが、
    足助町は古くから中部山岳地帯と太平洋岸各地を結ぶ交通の要所でだったそう。
    太平洋側から来ると、足助から先は急に険しい山道となります。
    その山道に備え、足助の地で宿をとったり、休憩したことが多かったのではないか。
    そこから、「足を助ける」という意味の地名ができたからとの話。

    (太平洋側の知多から、足助から先の厳しい山岳地帯を月二回通っている私としては、
    大いに納得できます)

    足助町の観光協会館長さんも本当のところは分からないそうです。
    ただ、今は後説を通説として使っているとか。

    足助から、その先の稲武までのアップダウンしながら続く徐徐に高くなってゆく高低差の酷さは、
    車でも耳の悪い私には堪えます。
    終いにアルプスへ続く飯田方面へ向かうのですから、分かりますねぇ。

    歩くしかなかった昔は、さぞ厳しい旅だったのではないかと推察できます。
    今は、道路も良いですが。

  2. おーちゃん 投稿者

    「へ~え、そうなんだ!」なんていう表現を聞いたことがある。
    「足助」という言葉を身分の低い者というように考えていました。
    それで、なんで屋敷なんだと思ったわけです。
    「足を助ける」という意味はよく理解できます。
    バスでのんびりと行ったもんだから
    厳しい山道という感覚はなかったけどね。
    でも、よくわかりました。
    これで、「すっきり!」です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です