130711 イタリア紀行32 アマルフィ2(世界一美しい海岸)

「世界一美しい」という形容詞が必ずつくアマルフィ海岸。よくもこんなところにとあきれてしまう。海からそのまま山へと続く。その急勾配の斜面に白壁の家や別荘が点在する。その中に、あの、あの、ソフィア・ローレンの別荘もあるとか。タケダさんが運転手に聞いてくれたが無視された。おそらく彼も知らなかったのだろう。

バスの座席の位置で、左側は街並みが見え、右側は海ばかり。中継点(休憩もする)で位置を代わるように指示される。そりゃそうだろう。あまりに不公平だ。その休憩地から見る海がまた美しい。真下に見えるのだがどう表現したらいいのか。青い色の中に緑色が見える。岸から離れてクルーズ船が停泊している。それがなんとも様になっている。海から見上げるこの街はどんな風に見えるのだろう。

そうそう、タケダさんは映画「アマルフィ 女神の報酬」のことをさかんにいう。織田裕二と天海裕希が主演というのでちょっと気にはなるが、おそらく見ないだろう。

とうとう30回を超えてしまった。9日間のツアーの5日目。最終的には何回シリーズになるんだろう。これじゃ大河ドラマだ。我ながら恐ろしい。

130709 イタリア紀行31 アマルフィ1(昼食)

昼食はソレントで。どこかで聞いた名前だと思ったらナポリ民謡「帰れソレントへ」だった。中学生の時(遥か昔になったなあ)、こうした歌の好きな音楽の先生がいて、ずいぶん歌わされた。こじんまりとした街で、いかにも南国らしい町並みと観光客で活気がある。

ところが、レストランに案内してくれるはずの店員が来ていない。ダレカが言った。「やっぱりイタリアだ!」。その時、広場に停まっている観光馬車のおじさんが、どうして気がついたのかタケダさんに話しかける。タケダさん、イタリア人でいまいち信用できないんですが、レストランの位置は分かりました、と笑いながら言う。

店内の雰囲気も良かった(ヴェスビオ火山の噴火の絵がこれでもかと周りに何枚も飾り立てていたのはいただけなかったが)し、料理も良かった。なにより同じテーブルになったご夫妻との会話が楽しかった。深みのある声で博識のご主人といつも明るく笑う奥方と。料理は、味と会話の合作であるという見本だった。

この写真は、「ツチダさんご夫妻のツーショットがありません」と書いたらすぐに送ってくれたものです。こうしたやさしさがなんともうれしい。

130706 イタリア紀行30 ヴァチカン市国8(サン・ピエトロ広場)

広場はサン・ピエトロ大聖堂を中心にして、両脇に数百本の石柱が4列に並べられ、まるでここに集う信者たちを抱きかかえるような印象を与える。この広場を設計したベルニーニのスケッチには、大きく腕を広げた人体に重ねて大聖堂と広場が描かれている(ガイドさん)そうだ。

今回でヴァチカン市国は終わります。次は、「アマルフィ海岸」です。

130704 イタリア紀行29 ヴァチカン市国7(スイス衛兵)

屋外に出るとイタリアの太陽がまぶしい。この表現はタケダさんがマテーラで使ったのを拝借してみた。かっこいいと思うがどうだろう。サン・ピエトロ大聖堂の中から出ると、中の暗さの影響でちょっとくらくらしてしまった。

広場に降りていく階段のわきにスイス人衛兵が立っている。何とも派手なデザインだが、ミケランジェロのデザインといわれている。にしてはちょっとセンスが悪い。それにしても彼らは本当にイケメンだ。そして、無表情である。いたずらしてくすぐりたくなるのは私だけだろうか。

130701 イタリア紀行27 ヴァチカン5(サン・ピエトロ大聖堂)

サン・ピエトロ大聖堂は、世界で最も大きな教会だ。カトリックの総本山であり、もともとは初代教皇「聖ペトロ」の墓の上に建てられた記念教会堂が元だという。これだけはガイドさんの説明の前に、ダン・ブラウンの小説「天使と悪魔」で知っていた。とは、ちょっとした自慢話。

① 入口のドア=この彫刻の施されたドアは閉まっている。横の開いた所から入るようになっている。つまり、このドアは今では見せるためのものになっている。

② 一番奥に見えるのが聖ペトロの玉座。窓から差し込む光が厳かな雰囲気を醸し出している。

③ 手前の曲がりくねった柱で支えられているのが「ベルニーニの天蓋」。この下、地下深くに聖ペトロの墓があるという。とにかく大きい。ものすごい迫力だ。高さは29mという。奈良の大仏が約15mというから倍近くもあるのか。

④ ミケランジェロのピエタ=「ピエタ」とは「哀れみとか慈悲」などの意味で、十字架から下ろされた我が子イエスを抱く聖母マリアの彫刻や絵画のことをさすそうだ。聖母マリアの表情がなんとも清楚で、哀しく、美しい。誰かが言った。あまりにも若すぎる。母親なら50歳は超えているはずだ。ひょっとして「ダ・ヴィンチコード」の中で、イエスと結婚し、娘サラをもうけたとされる「マグダラのマリア」なのかもしれない、とは私の妄想だが、そう考える方が年齢的にも合っている。異端とされる宗派では「マグダラのマリア」はイエスの花嫁であり、イエスと同じように敬愛され大切にされているそうだ。その方が神の子よりも親しみが持てる。