110323 大震災に思う1

久しぶりの安曇野通信。3月始めに届いたものです。せめて写真だけでもきれいなものをと考えました。

 11日の午後2時46分、東北・関東大震災が起きる。この未曾有の出来事に対して、何か言わなければ、何か記録しておかなければと思うのだが、あまりのことに頭の方が拒否してしまって何も考えられない状態が続いた。あれから10日が経ち、ようやく少し考えられるようになった。それでもまだきちんと整理だっては考えられないので、とりあえず今、この時点で書けること、書きたいことを掲載してみようと思う。何度も言うが、あまりの出来事に、あまりの情報の多さに圧倒されてしまって、何をどう書くべきか・・・・・。我ながらしつこいなとは思っている。言い訳はいいから早く書け!と自分に言いたい。
 とりあえず言葉と写真について書いてみる。まずは言葉。
 これまでに2回この映像を見ている。それはある避難所でがんばる子どもたちのこと。取材に入ったレポーターが子どもたちに聞く。「今、何が一番欲しいですか?」。レポーターとしては当然の質問だとは思うのだが、なにか無神経さを感じてイライラしてくる。聞かれた小さな男の子が「水かな?」という。もう一人が「家が欲しい」という。横で汚れ物を洗っていた中学生くらいの女の子がサラッと言う。「命があれば十分だよ」。
 呆気にとられてしまった。これまで、これでもかこれでもかと悲惨な映像を見せられてきたし、辛い苦しい思いを聞かされてきた。もちろんそれが何も悪いことでもないのだが、もういいよ(すいません!)と思い始めたのも事実である。そんな時にこの言葉である。子どもたちの明るさと笑顔と、「命があれば・・・・・」の言葉に、私の方が勇気をもらった。