100516 柿右衛門窯(5/4)

   

  ちょうど12時、有田に着く。まずは源右衛門窯へ。最終日前日だからなのか例年に比べると閑散としている。いつもは29日に行くのだが、それだと会計の所は行列が何列もできて大混雑なのに。早々に切り上げてお目当ての柿右衛門窯へ急ぐ。以前はこのために少しずつお金を貯めて、毎年一点ずつ器を買い揃えていくのをささやかな贅沢にしていた。初めて陶器市に出かけたのはたしか45歳頃だった。それから途中病気(陶器市に行く途中発作を起こし、引き返してそのまま入院なんてこともあった)で途切れたこともあったが、だいたい毎年出かけるのを楽しみにしていた。

 昨年は、「年金暮らしだし、もう陶器市は止めよう」と話し合ったのに、たった1年でしょうこりもなしに出かけてしまった。九年庵まで来たのだからというのが一番の理由なのだが、前日の夕方、テレビの番組に目黒祐樹が出ていた。九州の町を紹介する番組である。今回は佐賀県有田。それも柿右衛門窯を訪れるというものであった。それに14代と15代が出演しているのを目にしたのが運のつきであった。

   
 これが柿の木  風の吹き抜ける庭

 私が写真を撮るのに夢中になっている間に連れ合いは今年も器を買ってしまった。飾るためじゃない。これからはどんどん使うからと言っているがどうなることやら。その後はお茶とお菓子(今年は大原の松露饅頭)をいただき、ゆっくりと庭を眺める。縁側に出ると風が吹き抜けて、今日の厳しい陽ざしも気にならない。心穏やかになるだけでなく、心の「ぜいたく」を感じる。この贅沢を感じたくて年一回やってきているのかもしれない。

   
 この位置で毎年記念の写真を撮ってもらっている  私たちの買うのは小さなちいさな器です

100515 御船山楽園

御船山 これではサギだ!

 思いのほかスムーズにいったので、有田に行く前にもう一つどこに行こうか迷う。前日のテレビに同じ佐賀県にあるツツジの名所「御船山楽園」と「大興禅寺」が放映されていたのである。例の駐車場の若い係の人に聞くといろいろ調べてくれる。いつもニコニコしていて、こちらのわがままなお願いにもやさしく対応してくれる。おそらくこの連休にもかかわらず春の一般公開に狩り出された職員のようだが、こんな若い人がいるとうれしくて仕方がない。日本の将来もまんざら捨てたもんじゃない、なんて年寄りぶって思ってしまう。車の中で連れ合いとそんな話をしながら、写真を撮ればよかった、名前を聞けばよかったとつい思ってしまう。一瞬引き返そうかと思ったのだが。ブログを始めてからほんとに厚かましくなったと思う。

 彼の意見で有田の手前、武雄温泉にある「御船山楽園」に行くことになる。連れ合いは何年か前町内の旅行で行ったことがあるという。それは見事なつつじだったという。しかし、それは4月の20日過ぎだったからもう遅いよ、という。でもネットで調べると「20万本のツツジ」とか「樹齢150年の大藤」に「萩ノ茶屋を特別公開」とあったし、前日のテレビにあれだけのツツジが映し出されていたのだから大丈夫と反対を押し切って出かけたのだが・・・・・。入場券を買う時嫌な予感がした。800円が消されて600円になっていたのである。メインの御船山のふもとにはテレビで放映された一面のツツジはなく、上の方に少し残っているという状況である。その景色を観ても連れ合いは何も言わない。私も知らん顔をしていたが内心汗がどっと出た。

 これではあのテレビの映像はサギだ! 

100512 仁比山神社

   

 8年前は九年庵もだったが、すぐ隣にある「仁比山神社」の紅葉が素晴らしかった。私はこちらの方が見事だったと思っているのだが。この年は紅葉の当たり年だったようで、帰りに寄った大宰府の光明禅寺の紅葉がまた見事だった。ほとんど毎年出かけているのだが、時期を違えるのかもう二度と巡り会うことはない。

 今日もモミジの新緑が素晴らしかったが、今日はモミジよりも大楠のほうが目立った。2本あって1本は「樹齢800以上」と書いてある。もう1本も600年は超えているだろうとあるが、いずれにしてもその木の前に立つとつい頭を垂れてしまう。おそらくこの木が生きてきた長いながい時間への畏敬の念が理由だと思う。いや、ただ単にそのあまりの大きさへの畏れからだと言った方がふさわしいかもしれない。そのあまりの存在感・生命力に圧倒されたのである。

 天平元年に農業神として祭られたと神社の縁起に記録されている。天平といえば、奈良に都が置かれて今年で1300年。平城京の大極殿が再建されて今大々的に遷都1300年を祝っている。その当時に祭られたのである。この神社では12年に1度の申年の4月に、県の重要無形民俗文化財である御田舞が13日間奉納されるというが見てみたいものである。本殿の隣には「松尾社」がある。おそらく京都の松尾大社につながるものだろうが、とするとお酒の神様になる。佐賀県は銘酒が多いと聞く。磯屋の大将に教えられて、行橋まで買いに行った「雷神」も佐賀のお酒である。

   
   

 

100511 九年庵2(みどりの風)

   

  日田から高速に乗って東背振ICに着いたのは7時30分。8時30分開園なのに1時間も前に着いてしまった。前回(8年前)は仁比山公園の駐車場(九年庵のすぐ近く)に停めたのだが、今回は吉野ヶ里テクノパークに用意された臨時駐車場からシャトルバスが出ているという。駐車場係の若い人に公園の駐車場には行けないのかと無理を言うと(無理とは分かっていますが一応)、こちらのわがままにもやさしく対応してくれたが、もちろん無理である。

 本部テントでもらった入場整理券には32番とあった。まず、仁王門を見て、幕末の蘭学者、伊東玄朴の旧宅横を通り入り口まで。開園が15分早まる。だれもが一様に感嘆の声を上げるのはやはり緑のシャワーの見事さである。紅葉も素晴らしかったが紅葉は季節に左右される。特にここ近年は温暖化の影響か、どうもあざやかに色づいた紅葉を見た記憶がない。しかし、新緑のあざやかさはいつも変わらない。そして、それを眺め、緑にひたる人々の表情はとてもやわらかい。縁側に腰かけてじっと緑を見つめている人たち。今日の暑い日ざしも周りの木々にさえぎられてここまではとどかない。

 私の目はついつい新緑ばかりに向かうのであるが、「この時期、こんな緑はどこにだってあるわ。ここの素晴らしさはこの建物と一体になっていることよ」と連れ合いは言う。そういえば、我が家のモミジも若葉から深い緑に変わろうとしている。それはそれなりにすばらしいのではあるが。

  これは8年前の九年庵の紅葉である

100510 九年庵1やわらかな陽ざし

   

 5時に起床。6時に家を出るためである。つい最近、テレビで九年庵のことが出ていた。佐賀の実業家、伊丹弥太郎が明治25年から長い年月をかけて築いた別荘と庭園である。その年月、9年をかけたところから「九年庵」の名前がついたといわれる。ここは秋の紅葉の時期に9日間に限って一般公開されている。毎年わずか9日間の一般公開を守り続けてきたその希少価値から人気は高く、多くの人が訪れる。

 その訪れた人たちからたくさんの要望が寄せられたそうである。その一つは、公開の日数をもう少し延ばしてほしいということ。桜と違って紅葉である。たしかに9日間というのは短すぎるという気がしないでもない。しかし、建物の保全と庭園の植物、なにより庭一面に広がる苔を維持していくためにはこれくらい厳しい方がいいのかもしれない。

 もう一つは新緑の時期の公開の要望である。もみじを中心とした植栽である以上紅葉はもちろんのこと、若葉のあざやかさはだれもが待ち望んだものであろう。佐賀県の女性観光課長さんがその辺の事情を説明していたが、思い切って決断したものである。

 タイトルの「やわらかな陽ざし」はもらったパンフレットに書かれていたものを借用した。 

100506 老い

友達のブログに載っていたのを「アガパンサス」と言ってしまった。正しくは「シラー」です。

姉にもらった花だがどうしても名前が出てこない。どなたか知りませんか?

  姫路城に行った時にも書いたが、駅に着いたとたん右足のふくらはぎに激しい痛みが走り、動くことができなくなった。アキレス腱断裂の時に「後ろからバットで叩かれたような」という表現をよくする。経験がないので分からないがその表現に似た「バリッ!」という感覚だった。さいわい「姫路医療センター」での診断は軽い肉離れということだったが、その1週間後に脚立から右足を下ろした時にまたやってしまった。それ以来ふくらはぎがいつも張ったような感覚である。

 昨年孫が帰ってきて、男の子だから外での相手はほとんど私の役目になる。グローブとバットを持って、米山公園に行くのが日課になっていた。いつだったかはっきりとは思い出せないが、遠投をした時やはり右肩が今回と同じように「バリッ!」と音を立てた。それ以来オーバースローでは投げられないし、ふだんの生活でも右手は肩よりも上に上げるのが苦痛である。それでもやっと「五十肩」になったか。若い証拠だなんて粋がっていたが、もうそろそろ1年が近づこうとしているのに全く良くならない。

 昨夜は夜のウォーキングから帰って風呂に入ろうと衣服を脱ぎ始めた時に、右手首に違和感を覚えた。まあ風呂につかって身体をあたためて、手首をもみほぐせば良くなるだろうと湯の中で手首のマッサージを始めた。ところが、いつまで経っても痛みは治まらない。どころか激しくなっていく。それでも我慢をしたが真夜中の2時過ぎに痛みで起きてしまう。ふくらはぎの時のシップを貼ってもらったが、とうとうそのまま一睡もできなかった。

 今は(13:30)は落ち着いて、手首を回してもそんなに痛みはない。それでも原因がはっきりとせずに痛みが次々と起きるのには閉口した。おそらく「老化」であろう。いま私の身体は若さ(まだあったかな)と老いとが激しく入れ替わっている状態だと思う。そうでも考えないとこの理由なしは理解できないし、そうでも考えないと気分が滅入ってしまいそうだ。

 今度はどこに「老い」は現れるのか。

100503 館長、がんばります!

村上記念病院の東側 これが日曜日の午後2時の新博多町

 

 25日(日)、先週に引き続いて小幡記念図書館に出かける。今日もいろいろと用事を頼まれたので、例によってyoumeタウンに車を停める。できれば家からずっと歩いていきたいのだが・・・・。下の駐車場はいっぱいなので屋上に停める。NTTの横を通り、妙連寺の前を通って福沢通りを横切り、南部小学校を回って図書館まで。どうもこのコースに決まってしまったようだ。途中、いつの間にか「扇城タクシー」の車庫が取り壊されて更地になっている。太陽タクシーに吸収されたとは聞いていたが、私たちの年代には「扇城タクシー」が中津のタクシーの代表だったのでちょっと寂しい気もする。

 久しぶりの穏やかな(この頃ほんとに天気がおかしい)陽気の中をのんびりと歩く。こうした歩き方をしているとふだん見ることのない景色が目に飛び込んでくる。特に、通りや門や塀の中にあるさまざまな草花が気になる。木々もあざやかな新緑で、ほんとに目にやさしく、心を穏やかにしてくれます。

 本を受付で返し、新しい本を探しに書棚まで行こうとしてびっくり。すれ違った若い男性に声をかけられる。○○君である。「いい若いもんがこんないい天気になんで図書館なんか(失礼!)にくすぶっているの?」と聞くと、「館長、忘れたんですか!館長に食事に連れて行ってもらおうと頑張っているんですよ」という。話せば長くなるのだが、歓送迎会の時、隣に座った彼との会話の中で約束をした。彼は今臨時なんだが、合格したら私の一番お気に入りのお店に招待して合格を祝ってあげるよ、と。

 その約束がうれしかったらしく、次の日会った時に「館長、絶対に連れて行ってくださいよ。そのために頑張ります!」と力をこめる。順序が違っているような気がしないでもないのだが・・・・・。(4/26)