100403 鳥取砂丘

これで砂丘の全て カニが好きでない者には・・・・ 季節の良い時,ゆっくりと

 

 たしかに砂丘ではある。家の近く、三百間の浜にあった砂浜のちょっと大きいやつ、ではない。大きい おおきい。しかし、これからは砂漠は絶対に想像できない。する方が悪いのだが。砂丘といえば、なんか夢があった。ロマンティックな姿を期待していたのに・・・・。これでラクダに乗せてという商売もやっているのだから、悲しくなる。書けば書くほどむなしくなるので、もう、これで、お、わ、り!
 
 砂丘から宿泊先の大山ロイヤルホテルまでは2時間。途中で大荒れの天気になる。嵐といっていい。ガイドさんからは、「だれか今までしたことのない悪いことをしませんでしたか?」と言われてしまった。ところが、それも10分ほどで、始まった時と同じに急に終わってしまった。明日、天気がよければいいのだが。

 2時間かけてということで一昨年の上高地ツアーを思い出した。こういう離れた場所でないと格安のツアーは組めないと理解しているつもりだが、さすがに遠いなあ。ところが、そのロイヤルホテルは満員で、風呂は芋の子を洗う状態。部屋はひとりということで、5千円の追加料金をとられたが、たった一人にベッドは3つ。ぜいたくというか、さみしいというか・・・・・。

 翌朝、素晴らしいとは言わないまでも昨日の夕方に比べたらまさに天国。目の前に見える大山は山頂が雲に覆われているが、そのすばらしい下半身を見せてくれている。夜目・遠目・傘の内というが、「雲の内」もいい。とこれは完全な負け惜しみ。なのに、初めの休憩地(というより、「お土産買え地」)に着く頃には少しみぞれ交じりになってきた。前途多難。 

100401 姫路城

 世界遺産というだけのことはある。これほど雄大で・・・・・、豪華絢爛さにはあきれるほどだ。もともとは当時小寺官兵衛と名乗っていた黒田如水が居城とし、秀吉の中国攻略の拠点として差し出した小さな山城であった。関が原で勝って天下人となった徳川氏も、西国大名、特に毛利氏とそれ以上に島津の力が不安(ひょっとして怖かった)だったようだ。江戸を守る第一の砦としてはこれ以上はないほどの力を注いだ。豊臣氏の居城であった大阪城、そして、徳川御三家の一、尾張徳川家の天下普請と言われた名古屋城に負けない規模を誇る。

 4月の12日から平成の大修理に入り、天守は素屋根で覆われて見ることがかなわなくなるそうだ。そのあと終わるまで約5年間の歳月がかかるために、今のうちにとたくさんの人が押し寄せるようになったという。10時過ぎに入場するのに待ち時間は60分と表示が出ていた。同じツアーの人たちもほとんどが天守閣の頂上まではたどりつけなかったという。私もその口である。とてもじゃないがじっと待つ気にはなれない。

 姫路城のあの美しさは美しさを追求したものではなく、城としての機能、つまり、戦いとしての役割を求めた結果である。それはそうだ。だれが生きるか死ぬかの中で美しさを求めるものか。機能としての美しさ=機能美だとは分かっていても、やはりその美しさには驚嘆する。しかし、天守の白壁はうす汚れ、屋根瓦も汚れて一部波打っているような印象を与えている。西ノ丸の方は修理が終わっていた。千姫ゆかりの化粧櫓と百間廊下は白壁本来の白さをとりもどし、瓦も新しくなって鮮やかである。5年後の天守閣はそれこそ「白鷺」に例えられる美しさを見せてくれるだろう。

 4月4日には香港から帰ってくる孫を京都まで送っていく。途中、姫路城を見せてほしいと娘に頼まれたが、こんなに待たなければならないのなら行かなきゃよかったと今は後悔している。