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世界遺産というだけのことはある。これほど雄大で・・・・・、豪華絢爛さにはあきれるほどだ。もともとは当時小寺官兵衛と名乗っていた黒田如水が居城とし、秀吉の中国攻略の拠点として差し出した小さな山城であった。関が原で勝って天下人となった徳川氏も、西国大名、特に毛利氏とそれ以上に島津の力が不安(ひょっとして怖かった)だったようだ。江戸を守る第一の砦としてはこれ以上はないほどの力を注いだ。豊臣氏の居城であった大阪城、そして、徳川御三家の一、尾張徳川家の天下普請と言われた名古屋城に負けない規模を誇る。
4月の12日から平成の大修理に入り、天守は素屋根で覆われて見ることがかなわなくなるそうだ。そのあと終わるまで約5年間の歳月がかかるために、今のうちにとたくさんの人が押し寄せるようになったという。10時過ぎに入場するのに待ち時間は60分と表示が出ていた。同じツアーの人たちもほとんどが天守閣の頂上まではたどりつけなかったという。私もその口である。とてもじゃないがじっと待つ気にはなれない。
姫路城のあの美しさは美しさを追求したものではなく、城としての機能、つまり、戦いとしての役割を求めた結果である。それはそうだ。だれが生きるか死ぬかの中で美しさを求めるものか。機能としての美しさ=機能美だとは分かっていても、やはりその美しさには驚嘆する。しかし、天守の白壁はうす汚れ、屋根瓦も汚れて一部波打っているような印象を与えている。西ノ丸の方は修理が終わっていた。千姫ゆかりの化粧櫓と百間廊下は白壁本来の白さをとりもどし、瓦も新しくなって鮮やかである。5年後の天守閣はそれこそ「白鷺」に例えられる美しさを見せてくれるだろう。
4月4日には香港から帰ってくる孫を京都まで送っていく。途中、姫路城を見せてほしいと娘に頼まれたが、こんなに待たなければならないのなら行かなきゃよかったと今は後悔している。