阿修羅の人混みからはずれると、他の場所は意外とあっさりしたものである。八部衆と十大弟子の像はそれぞれ4対ずつ安置されている。残念ながら十大弟子の方は素通りする。お目当ては何といっても八部衆である。インドで古くから信じられてきた異教の(バラモン教か?)八つの神を集めて、仏教を保護し、仏に捧げ物をする役目を与えて八部衆とする。仏教に取り入れられてからも、異教の神の姿のままに表現される。
その中でも「迦楼羅(かるら)」。まず目につくのはなんといっても「くちばし」であろう。そして頭にはとさか。これは明らかに人間ではない。インド神話上の巨鳥、ガルダという。たしかガルーダ航空という航空会社がインドネシアにあったはず。何年か前福岡空港で事故を起こし、それでこの名前を記憶している。龍を常食とする。害を与える一切の悪を食いつくし、人々に利益をもたらすところから、家内安全等の修法の際にこれをまつる、という説明を読んですぐに浮かんできたのが「孔雀」である。
孔雀は羽を広げた時のその鮮やかな印象が強いが、よく見るとその顔は肉がたるみ、首の辺りは毒々しい青色に光り、その首をくねくねと動かしている。向かい合っていると、鳥類でも哺乳類でもなく、どちらかというと爬虫類のようでもあり、分類不可能な生きものを見るようで気味が悪い。鳴き声も不気味で一度聞くと忘れられるものではない。
そして、悪食である。その巨体を維持するために、毒蛇も毒蜘蛛も容赦なく食ってしまい、解毒できるらしく死ぬことはない。このアジア大陸、特にインドは瘴癘(しょうれい)の地である。その過酷な自然の中で生きてきた先住民(ドラビダ族)の人たちにとって、その光景を目の当たりにした時の驚きは、いつしかあこがれへと変わっていったはずである。その、解毒、毒にあたらないということを発展(抽象化)させて、孔雀そのものを形而上の世界にまで高め、ついには、諸仏の仲間までに昇華させた。それが「孔雀明王」である。
ここはとにかく、迦楼羅。阿修羅展のCMを見るたびに、いつしか阿修羅だけでなく、いや阿修羅以上に迦楼羅への憧れが強くなっていった。その迦楼羅がいま目の前にある。だれに邪魔されることなく見続けることができる。一体だけ横を向いて、くちばしとそのギョロメの顔が、いつしか見慣れた、なつかしい顔へと変わっていった。