090918 阿修羅

 昨日、文化の森大学の現地研修で、阿修羅展に出かける。9月に入って、入る情報が「3時間待ち」や「4時間待ち」といったとんでもない話ばかりなので、急遽役員会を開き、9時出発を6時半にした。あまりの早さに取りやめた人も出たが、開場までの1時間半を待つだけであとはスムースにことは運んだ。だれもが喜んでくれたので、いっぺんに肩の荷が下りた。

 阿修羅の写真をと思ったが、もちろん撮影することは許されていない。インターネットからダウンロードしようかと考えたが、今回は私の好きな文庫本を掲載してみた。

 薄暗い展示場に、そして、抑えた照明の中に、天平の美少年と称される国宝・阿修羅像がたたずんでいる。三面六臂の、少年のように細く、しなやかな肢体。三つの顔は、それぞれに微妙に違う悩ましい表情で、見る者をひきつける。

 と、表現すれば、素晴らしい環境の中で鑑賞を楽しんでいるように思われるかもしれない。ところが、現実は、阿修羅の前は幾重にも取り囲む人の波で、とてもじゃないが、近づくこともできないし、たとえその波の中に入ることができても身動きできない。そこはよくしたもので、若い男性の係が二人ついていて、彼らの掛け声でその人波が左にわずかな歩幅で動いていく。16まで数えるとちょうど45度動くから不思議である。動かされるこちらは、苦笑しつつも内心では笑いが生まれてくる。表情は分からないが、声の調子からすると、彼らも自分の掛け声で人波が動いていくことを楽しんでいるような気配である。

 「天平の美少年」といわれる阿修羅。闘いの神と呼ばれ、仏教に帰依するまでは、仏教の守護神「帝釈天」と何億年にわたって闘いを繰り返してきたそうだ。ところが、他の八部衆と違って、、彼だけが鎧をつけていないし、限りなく優しい(哀しい?)表情をしている。それをある人は、その彫刻を彫った(この時点でその人はすでに間違っているのだが)無名の仏師の信仰心が、これだけの穏やかな表情を作り出したのだと言った。私も今日まではそう思っていた。彼(仏師)は、たまらなく阿修羅が好きだったのだ、と。

 が、今はそうは思わない。今は、1300年という時間が作り上げたのだと確信している。それは・・・・。4階の常設展示場には、造られた当時の姿を復元した阿修羅が展示されていた。なんともいえない朱色でけばけばしく、なによりも驚いたのはあの少年の表情がどこにもないのである。代わってあるのは、口の上にうすく描かれた口ひげ。創建当時興福寺にあったのは、今私たちを魅了する少し哀しみを帯びた少年の顔ではなかったのである。1300年という時間の流れが、少しずつ少しずつ、けばけばしさやたくましさを削り取っていって、本来の阿修羅の姿が生まれてきたのである

 2階の本棚の、歳時記の陰に隠れていた1冊の文庫本を見つけ出した。光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」。この本を読み始めてちょうど30年になる。読み終わるたびにいつもシーンとした思い(いい表現が見つからない)に囚われる。この本の中に出てくる阿修羅は少女として描かれている。この本を原作とした萩尾望都のコミックでも少女として描かれている。そして、光瀬龍の言葉のイメージに負けない、凛と美しい阿修羅を生み出した彼女に拍手を!

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