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公民館で仲良しになった斉藤テルさんにいただいた。木の下に吊るしておけば、あとは放っておいても大丈夫と聞いて、さっそく銅線を買ってきて吊るしてみた。写真を撮りにいったら、いつの間にか白い可愛い花が咲いていた。
黒い蝶といえば、孫も庭の中で見ている。「おーちゃん、くろい大きなちょうが飛んでいるよ」。そして、ただじっと見ているだけだった。たしかに大きな蝶がゆったりと飛んでいる姿は、子どもだけでなく、かつては子どもであった大人をも魅了する力がある。
ところが、かつての子どもたちは、ただ見ているだけでは我慢できず、なんとかそれを捕らえようとする。そっと近づき、うまく捕らえ、蝶の震える感触を感じた時の喜びは、うまくは言えないけれど、ヘッセの「少年の日の思い出」に出てくる、あの少年の思いと同じものだった。
今はどうか。蝶を捕ってはかわいそう。死んでしまうよ、である。たしかに、捕らえられた蝶のほとんどは(いや、全部か!)死んでしまう。そして、すぐに忘れられてしまう。しかし、美しいものを見た時、それに触れたくなる感情を抑えてしまうことがいいことなのか。触れてみて、極端に言えば、殺してみて、はじめて美しさを実感できると思う。眺めるだけでは、アゲハチョウという名前を知ることもなく、ただ「くろいちょう」が飛んでいるだけになってしまう。
学生時代(遥か、はるか遠くになってしまったなあ)、わが町にもたくさんの映画館があった。その中に洋画だけを上映する映画館があった。あるアーケードの奥にあった、小さな映画館だった。入場料は20円位だったような気がするが、だれか覚えていますか?そこでいったいどれだけの映画を見たことか。「理由なき反抗」のジェームス・ディーン。「暴力教室」には、コンバットのヴィック・モローが新人で出ていた。。「夜の大捜査線」のシドニー・ポアティエ・・・・
映画が文化であった時代である。その時見た映画の中で、「西部戦線異状なし」のラストシーンが心にしみた。若い兵士が塹壕から身を乗り出して、小さな白い蝶に手を伸ばす。そこに一発の銃声。彼の捕まえようとした白い蝶は、いったいなんだったんだろう。