私の数少ない親しく付き合っている友だちの中で、「安曇野」に移り住んだ人がいる。名前を「岩藤千晴」という。タイトルをどうしようかと迷ったが、この名前しか思いつかなかった。実名を出すことにもほんの少しためらいがあったけど、なぜか実名でなければ意味がないと勝手に思ってしまい、許可もなくつけてしまった。
彼は、昔から退職したら1年間は長野に家を借りて、とにかく山に登り続けてやると言い続けてきた。退職してそのまま「耶馬溪風物館」に勤め始めたが、会うたびに「嫌だ、いやだ。ここは俺のいる場所ではない。長野に行きたい」と言っていた。
その彼に「長野に行くことにした」と打ち明けられたのは歓送迎会の席だった。「行ったらああしたい、こうしたい」と、まるで子どもが夢を語るみたいに張り切っていたのを思い出す。出発の前、我が家にやってきて、これから出発するが、中津の家に咲いていた八重のドクダミを持ってきたのでどこかに植えておいてくれ、とぶっきらぼうに置いていった。まるで形見のようで、ちょっとしんみりとなったものだ。そのドクダミはそれ以来我が家の土になじんだのか(ドクダミは強くて場所を選ばないよという声もあるが)、どんどん広がって時期になると可憐な白い花を咲かせている。我が家を訪れる人に人気で、いろんな御うちに嫁いでいる。またその時期になったら写真で紹介しよう。
住んだのは長野でも「安曇野」というところ。名前がいい。古代の海の民、「安曇氏」に関係する地名だと思うが、言葉の響きだけでロマンを感じてしまう。いかにもいつまでもロマンを求める、いかにも子どものように遊び心いっぱいの彼が選びそうなところだと勝手に思ってしまう。おそらく、そんなことは考えたこともない、たまたまだよ、と少し照れながら言いそうな彼の顔が浮かぶ。
それ以来、たくさんの花や山の写真を送ってくれている。パソコンの中にはもう何百枚とたまっているはず。その彼が先ず最初に電話で話したのは、その花や山のことではなく、「ここは、湿気が少ないので過しやすい。最もうれしいのは『蚊』がいないことだ」ということだった。中津の粘りつく夏の蒸し暑さと夕方になると大群となって突進してくる蚊に悩まされてきた彼にとっては、なによりの幸せだと思う。と同時に、いまだに蒸し暑さで寝苦しい夜を過し、夕方の花の水遣りの時作業着の上からも蚊に刺されて閉口しているこちらとしたら、うらやましいを通り越して腹立たしさを覚えてしまう。その思いを知ってか知らずか、先日の電話では、「食事のあと、家内と二人でテラスに出て、ひんやりとした空気の中で、目の前の常念岳に沈む夕陽を眺めながら、紅茶を飲んでいる」と言ってきた。もう腹立たしさを通り越して「あ~あ」である。 《 続く 》