090715いのちのバトンタッチ

《 黒ゆり 立山登山道にて 》

金曜日(10日)、文化会館に講演を聴きにいく。今日は、扇城学園の110周年記念講演。講演者がいい。「青木新門」さん。あの、アカデミー賞をとった「おくりびと」の原作者である。

いい講演でした。声もいい(けっこうこれが講演の良し悪しを左右する)し、もちろん内容は聴く前から期待いっぱいで、保証つき。前半はやはり映画ができるまでのエピソード中心。モックンの素晴らしさが際立つ。これでも分かるように、自分のことはあまりアピールしない。できるだけ他を立てるし、この話はもっと聴きたいな、ほかの人だったら当然話すだろうなというようなことをかえってさらっと流してしまう。あとで考えれば、たしかに枝葉のことばかり。それでもなおさらいい話だとなってしまう。

そうそう、その中の一つ。「納棺夫日記」を出版して10年で10万部。それがアカデミー賞をとってから4ヶ月で40万部。おかげで静かに余生を送る予定が狂ってしまい、こんな風に全国を飛び廻る羽目に陥ってしまったとか。そういう目に合ってみたい気もする。

後半になって、演題の「いのちのバトンタッチ」の内容に入る。それも自分の仕事であった納棺夫としての体験からと富山に生まれた者として身体に脈々と流れる真宗門徒としての思いが重なったものとして。死はそこで終わりではなく、それを見つめる人たちに「命の大切さ」として続くものとして。自分がひょんなことから納棺夫の仕事を始めた頃はまだ、家で、家族に囲まれて死んでいく人たちがほとんどだった。それが、今では99%が病院や施設で息を引き取るようになり、死から人々が離れていくにつれ、死を汚いもの、怖いものとしてとらえるようになってしまった。死んだ直後の、どの人にも浮かぶあの穏やかな、あの安らかな顔を見てもらいたい、と。いい話でした。いろんな場面で拍手が起きるし、家内も感激してしまう。

ところが、私の中ではこの話がそこで終わらずに、あちらこちらへとさまよってしまった。おそらく昨日始まった「阿修羅展」のことが頭に残っていたからか。「阿修羅」といえば「光瀬龍」。また、あの本を引っ張り出してみよう。