250820 鎌倉紀行14(鳩サブレ―)

遅くなったがまだ昼食を取っていない
どこかでと思うが、その前に連れ合いに頼まれた「鳩サブレ―」を買わなくてはならない
参道を歩くと外国人の人たちによく出会う
欧米人が多いが、これで中国人がやってくるようになったらしっちゃかめっちゃかになるだろうな
前回入ったお店を見つけた
「サンリオカフェ」である
こんなにかわいいお店だったのか

そこを通り過ぎて、豊島屋本店に入る
前回来た時よりもえらいきれいになっているように感じた
25個入りの箱を買ったら送料共で5,000円を超えてしまった

最後の布花の展示会を家でやります、たくさんの生徒さんとお客さんが来るので、
4日ほどどこかに行っててという指示で鎌倉に来ました
せっかくだから生徒さんたちに出したいのでと送ってと頼まれました
展示会の最終日に届く予定なので、少しはいいところを見せられるかな

250815 鎌倉紀行13(白旗神社)

大石段を降りて舞殿の横を左に曲がる
柳原神池を通ると、左手に見えてくる
境内末社で、頼朝と次男の実朝が祀られている
八幡宮本殿は混雑していたが、ここまで来ると人も少なく、
落ち着いた雰囲気の神社になっている

黒塗りの社殿が、小さいながら落ち着きと華やかさが混在して印象的です
あの黒色に「艶やかさ」を感じるのはおそらく漆塗りのせいだと思う
そして、この艶やかさに鎌倉武士の華やかさと色気を感じるのは私だけだろうか

唐破風の下に着いている家紋はもちろん源氏の家紋である「笹竜胆」
今日の日差しの強さから余計に金色に輝いています

250810 鎌倉紀行12(本殿)

楼門をくぐった先にはすぐに「拝殿」があります
その先に八幡様を祀る「本殿」があるはずですが、もちろん見ることはできません
拝殿と本殿をつないでいるのが「幣殿」で、
上から見ると(見たわけではありませんがネットにはそう書いています)「ェ」の字になっています
こういう造りを「権現造」といいます
こういう言葉は学校で習っています

この場所は「撮影禁止」のエリアだそうです
立て札が出ています
それでここでの写真はありません
拝殿はネットに出ている写真を拝借します
本殿は、前回訪れた時に撮った時に、立て札に気付かずに撮ったのがあるので、それをアップしておきます
あとでその立て札に気付いて、警備員さんは知らん顔をしてくれたのだと感謝しました

今回ネットの写真を使おうとした時に気が付きました
「個人観賞の範囲を超える撮影行為」は禁止とネットには書かれていました
警備員さんは知らん顔をしてくれたのではなく、
私の行為は「個人観賞の範囲内」だっただけのことでした

250805 鎌倉紀行11(楼門)

大石段を登り詰めると、思わず見上げてしまう大きな門が視界にかぶさってくる
「楼門」である
ここでは二つのものが目に付く

一つは、真正面の上部に掲げられた「八幡宮」の扁額である
黒をバックに金色で書かれている
そして、「八」の文字は神聖な神の使いとされる二対の鳩(つかわしめの鳩)で表現されている
この文字から鎌倉名物の「鳩サブレ」が生まれたというわけである

もう一つは、普通「仁王像」が鎮座しているところに人間が置かれています
「隋人」(貴人を護衛していた武人)と呼ばれている
それを初めて見たのが、佐賀県にある「祐徳稲荷」をお参りをした時だ
きれいな置物だなと思って、よく見たら有田焼で作られたものと書かれていました

※ということで、左が「鶴岡八幡宮」、右が「祐徳稲荷」です

250801 鎌倉紀行10(大石段)

膝に来なければいいのだがとつい思ってしまうほどの急な坂である
ところが、肝心の石段の写真を撮るのを忘れてしまったようです
ということで、前回の写真の中から良さそうなのをアップしてみました

大石段を挟んで右に若宮(下宮)が祀られ、
左にはかつて樹齢千年を超える大銀杏がありました
3代将軍実朝を暗殺した公暁が隠れていたと伝えられ、「隠れ銀杏」と呼ばれていました
長い鎌倉の歴史を見続けてきた大銀杏の樹は、
2010年(平成22年)3月10日未明に強風によって倒れてしまいました
倒れた大銀杏の幹は切断されました
前回見たのはそれから7年後の姿でした
その時はほとんど幹だけの姿だったのですが、
その2年後には「ひこばえ(若芽)」が確認されたそうです
今は枯れた幹を覆い隠すように新しい枝が出ています

千年後には、どんな姿になっているのだろう

250725 鎌倉紀行9(舞殿)

流鏑馬の馬場を渡ると、すぐ左に手水舎がある
今年は口を漱ぎ、手を清める人は全くいなかった
あまりにさみしいので、前回(17年1月)の時の写真を添えておきます

そのすぐ先、大石段の真下に美しい朱塗りの建物がある
「下拝殿」とも呼ばれる「舞殿」である
各種儀式が行われる場所で、現在ではここで結婚式を挙げることもできるそうだ

この場所は、かつて若宮の上棟式で、馬引き役を命ぜられて快く思わなかった義経が兄頼朝に叱責された場所だと伝えられている
「兄妹は他人の始まり」とは今に始まったことではないということか
また、頼朝に舞を命ぜられた義経の愛妾「静御前」が
義経を慕う歌を歌いながら舞って、頼朝が激怒した言われている
その場は政子がとりなしたそうだが、
政子はいい役どころだが反面、頼朝は小さい男だななんて思ってしまった

250720 鎌倉紀行8(左右の池)

太鼓橋を渡ると参道を挟んで左右に池があって、右の池が「源氏池」と呼ばれ、
池の中に「旗上弁財天社」があり、そばにある石は「政子石」と呼ばれている

左の池は「平家池」と呼ばれ、もともとそれぞれの池には4つの池があったそうだ

ここで、「政子」登場
政子の命で、源氏池の一つを壊して処分した(ここからが少し怖い話になる)
つまり、平家池の4つの島は平家の滅亡を願う「死」を表し、
源氏池の3つの島は発展を願う「産」を表したという

単なるお話だと思うが、
少し前には「安倍晴明」が活躍し、
言霊信仰が信じられていた時代の話、
怨霊とともに生きた時代の人々には、単なるお話には思えなかっただろう

250715 鎌倉紀行8(太鼓橋)

三の鳥居のすぐ先には「太鼓橋」が見える

現在の「太鼓橋」はコンクリートと石で造られた橋で、
鎌倉時代に架橋された当初は「赤橋」と呼ばれ、もちろん朱塗りの板橋だったとか
今では橋そのものは安全と保存ため通行禁止になっているが、
横に通路があって、そこから見える橋はけっこう反りがあって素敵です
橋のはるか向こうに見えるのが本殿です